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■『寛政重修諸家譜』の使い方■

作成者:戸田市立図書館/作成日:平成22年10月28日/修正日:平成25年11月17日

『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』は、文化9年(1812)、江戸幕府により編纂された、最大の大名・旗本の系譜集です。

目次
『新訂寛政重修諸家譜』を使う。
形態
調べられること
注意点
索引
調べ方
「称呼索引」(官職名の部)を使った調べ方
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『新訂寛政重修諸家譜』を使う。
  《寛政重修諸家譜の分類記号》
   
288.2 系譜
※この資料は、2階参考資料室にあります。

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『新訂寛政重修諸家譜』 22巻+索引4巻+別巻2冊(続群書類従完成会・八木書店、1980〜1981・2010・2012)
形態
和綴じ本1,530巻を洋装本22巻にまとめたもの。本編の他に、索引4巻と別巻2冊がついています。
調べられること
神代から寛政10年までに存在した、大名・旗本(御目見以上)の系譜・経歴・家紋を調べられます。※家により最終記述年が異なります。
大名・旗本の名前の読み仮名がわかります。
注意点
読み仮名は、歴史的仮名遣いとなっています。
本文は、旧漢字・正字で表記されています。
本文は、古い言い回しになっているため解釈が必要です。
索引を使うときに見る項目は、「○(=冊数)」と「算用数字(=ページ数)」です。
徳川氏(御三家・御三卿)は載っていません。「松平」は賜姓の可能性があります(『角川日本史辞典』p.987「松平氏」によれば、将軍家から松平の称号を与えられた大名20数家あり)。※羽柴・豊臣も同様。
索引
巻数 内容1 内容2
索引一 姓氏(家名)索引 諱索引(一)
索引二 諱索引(二) 称呼索引(一)ア〜コ
索引三 称呼索引(二)サ〜ハ
索引四 称呼索引(三)ヒ〜ワ
別巻一 葬地・寺社名索引
別巻二  :  所領・居所索引   
調べ方
わかる項目 必要な索引 見る場所 注記
家名(名字) 索引一 姓氏(家名)索引 訓の五十音順
名前 索引一・索引二 諱索引(一)〜(二) 音の五十音順/諱の最後に「画引索引」あり
幼名・通称・号 索引二・索引三・索引四 称呼索引(一)〜(三) 訓の五十音順/称呼の最後に画数索引
役職(官職) 索引四 称呼索引(官職名の部) 訓の五十音順
役職(国名) 索引四 称呼索引(国名の部) 訓の五十音順
墓地・寺社 別巻一 葬地・寺社名索引 訓の五十音順
領地・城名  別巻二  →  所領・居所索引  訓の五十音順 
(注) 『寛政重修諸家譜』で収録年に不安があるものはもちろん、誤記の可能性もあるため、『大武鑑』や『徳川実紀』などで裏付けを取ることをおすすめします。

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●ためしに、『新訂寛政重修諸家譜』を使って問題を解いてみましょう。
「称呼索引」(官職名の部)を使った調べ方
 
江戸時代、戸田には荒川を渡るための渡船場(戸田の渡し)がありました。渡船場を利用した人の名前・日付・目的・代金・渡船に関わった人員などを記した帳面(『戸田市史』資料編二p.397〜「諸大名様後通行御渡船留帳」)が残っているため、時代を隔てた現在でも当時の様子を知ることができます。
問題 寛政8年(1796)6月6日に参勤交代で渡船場を利用した「榊原式部大輔」とは誰でしょう。
※史料中では「太輔」になっていますが、正式名称「大輔」に変えています。
ヒント ここでわかるのは日付、姓(榊原)、官職(式部大輔)です。なるべく早く検索できる方法を選びましょう。※姓の「榊原」を引くと、該当多数で調べるのが大変です。そうなると?
  (1) 「式部大輔」は役職なので、役職が載っている『新訂寛政重修諸家譜』索引四を用意します。
  (2) 役職は官職と国名の2種類あります。「式部大輔」は官職名なので、「称呼索引(官職名の部)」を開きます。
  (3) 「称呼索引(官職名の部)」で「式部大輔」を探すと、p.47〜50に「式部卿・卿法印・大夫・大輔・権大輔・少輔・権少輔・丞・大丞・少丞」がまとめて掲載されています。
  (4) 次にその中から「榊原」を探します。→榊原忠次・政敦・政邦・政祐・政倫・政永・政岑・康政の8名。全て『新訂寛政重修諸家譜』巻二p.259〜268にあり。
  (5) 『新訂寛政重修諸家譜』巻二p.259〜268を開き、寛政8年6月に式部大輔をしていると思われる人物を探します。
  (6) 8名の中では、寛政元年(1789)5月21日式部大輔に就任した「榊原政敦(さかきばらまさあつ)」の可能性が高いです(寛政5年12月26日が最終記述)。『大武鑑』中巻p.741を見てみると、享和3年(1803)における榊原式部大輔は榊原政敦なので、空白期間も引続き政敦が式部大輔であったと考えられます。

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